さまざまなめりっと

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2009-11-25

ブログ論

05:57 | ブログ論 - さまざまなめりっと を含むブックマーク はてなブックマーク - ブログ論 - さまざまなめりっと

HironaoAshida 【ブログ論(1)】ブログという媒体が広がったのは、個人的な日記の親近性によってではなく、サイトの更新性の(実質的な)端緒になったからだ。更新されない日記などない。ブログは、INPUTとOUTPUTとの距離を一気に縮めた媒体だったのである。 link
HironaoAshida 【ブログ論(2)】ブログの最大の魅力は私的な更新性に耐えられるということだが、欠陥は長所と同じ。更新の頻度が主観的ということだった。結局、それを読む読者に、その分、負荷をかけたのである。 link
HironaoAshida 【ブログ論(3)】その読者の負荷(「主体的に」読みに行くという負荷)を手助けしたのは、RSSだったが、更新の頻度の「私」性に変わりはなかった。 link
HironaoAshida 穴吹工務店、会社更生法申請。高松の専門学校の方は大丈夫か。心配だ。 link
HironaoAshida 【ブログ論(4)】ブログ発信の最大の問題は、内容よりも発信頻度の主観性(偶然性)の方だった。あまりに主観的・主体的だったのである。 link
HironaoAshida 【ブログ論5】RSSもまた、登録フィードが少なくても寂しい、多ければ検索をした方が早いという矛盾を抱えていた。ブログもRSSも発信・配信性が主観的だったのである。 link
HironaoAshida 【ブログ論6】ブログの時代はネット上での情報更新性を私的なレベルにまで開放したが、依然としてその情報の一つ一つを適切にさばきうる検索(選択)の主体、インレリジェントな主体を必要としていた。 link
HironaoAshida 【ブログ論(7)】Windows95以降大衆化するインターネット情報時代は膨大な情報に直接対抗する「強力な(賢い・孤独な)主体」が必要だった。 link
HironaoAshida 【ブログ論(8)】しかし世の中にそんな「強力な主体」=「強力な検索の主体」などほとんどいない。使い方を知らないと使えないものを「道具」と言うが、「強力な主体」の時代のインターネットは単に「道具」でしかなかった。 link
HironaoAshida 【ブログ論(9)】ブログの更新性(時間性)が、検索主体にとっては単にストックでしかないインターネット情報を時間化し、インターネット情報に近づきやすい形式を与えた(2000年代中盤以降)。RSSはその時間性を組織化したのである。 link
HironaoAshida 【ブログ論(10)】どんなに有益で膨大な情報のストックも、時間化の契機が与えられないと誰も使わない。情報が「ある」こととそれを「使う」「使える」こととの間には千里の径庭がある。マーケティングで言う「キャズム」差異もそれに関わっている。鍵は情報の時間化ということだったのである。 link
HironaoAshida 【ブログ論(1~10)】本日夕方おもむろに書いたブログ論、まとめました。このブログ論は私の「タイムライン論」の歴史編です。次回はミクシィ(MIXI)論になります。もっとも「タイムライン」論にこの展開は織り込まれていますが。 http://ow.ly/FbSR link

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