id:highcampusのTwitterログ・TLまとめ
2011-11-16
伊藤計劃氏のエントリに関するエロゲ批評の話 susumi_hajimeさんのつぶやき
TL | |
![]()
1
最近、『伊藤計劃:第弐位相』の単行本版を読んでみたりしてる。ああ、やっぱり地震と原発以降の伊藤先生(ヒライさん界隈だと伊藤Pか)の言葉を読んでみたかったなあ、と強く思う。改めて過去から読むと、めちゃくちゃ会って一緒に酒飲んで話したい人だもの。
メモ。『04-21, 2008 本当に、おはなしからしか語れかったのかな』。URL
メモ。『10-18, 2008 スチームパンクも遠くなりにけり』。URL
適当にエロゲで伊藤先生が語っているところを抜粋。
漆黒のシャルノス/"この「キャラだけいじって歴史は手を付けない(オリジナルにしてしまう)」ってあたりがいかにもエロゲーっぽいところ、あるいは同人っぽいところなのかもしれませんね。" / スチームパンクも遠くなりにけり - 伊藤計劃: URL
"なぜ(一時期)エロゲーに代表されるノベルゲーだけが批評的なツールとしてもてはやされたかというと、それは結局お話だったから" / 本当に、おはなしからしか語れかったのかな - 伊藤計劃:第弐位相 URL
"それなりにゲーム性を確保してる「システム」に対する外部性というのは「物語」を経由したものでしかありえない。そこで批評的に眺められる「システム」というのは結局のところ物語だ、ということ" / 本当に、おはなしからしか語れないのですよ URL
"評論は、言語化しやすい物語の面に寄りがちなので気を付けたいところです"/再読(2011-11-15) / なぜエロゲーだけ語られたか? - ARTIFACT@ハテナ系 URL
あと、伊藤先生のエロゲの「お話云々から語る」の要点としては、先ずゲームが内包しているものは、システムやデザインなどのビジュアルのみならず、セリフや説明などの物語性、ユーザーのプレイやインタラクティブ性などそこかしこに設計意図があり、それは批評性が充分確立できる、という点がある。
じゃあ、なぜアダルトゲームがあずまん先生とかそのフォロアーみたいに弄られる対象になったかというと、ゲームって名乗ってるけど、大多数がコンシューマが持ってるような要素が全然なくって、単純に語りやすい「お話」なだけだったからでしょ? という意見が前提としてある。
そういう単純な「お話」の批評なんていうのは、そんなもんエロゲ以外に掃いて捨てるほどあり、また対象は腐るほどあった。ゲーム(それはコンシューマもアダルトも含んだ)の批評的思想の広がりはもっとあったはずだけど、そういうのは育たなかったなあ、という感想が土台してあるのではないか?
なので、ここ(URL)で書かれている内容はちょっと的外れで、残念な見方である(簡単に書けば、そもそもシステム前提批評なんて未だにないだろ)。が、そういう思考環境が既に大多数に出来てしまった、という不幸を前にして別の可能性を夢想するのは、まあ。
補足として書くが、ループとかフロー形式をシステムと捉える行為は、ちょっともう止めておいたほうがよい。あれは単純に物語の強制的な「読み方」であり、システムではない(『アナザエル』のシステム面の本気批評がない時点で、そもそも駄目だ)。
関係する内容で注視すべきは、伊藤先生の「この「キャラだけいじって歴史は手を付けない~」くだり(URL)、先生の著作『ハーモニー』を所持しているのであれば、ここの文章からあの『Emotion Text Markup Language』を想起せよ。
え、どこまで飛躍してんのそれという意見もあるだろうが、もし『ハーモニー』をゲーム化したとき、『Emotion Text Markup Language』ってどういう意味合いを持つのだろうか? という置き換えをしてから、考えていただいたほうが、非常にわかりやすいと思う。
メモ。『なぜエロゲーだけ語られたか?』。URL
村長さんの文章を受け止めるときの補足点として、当時80年代後半以降のゲームFCとSFCであったこと、ハードからくる制約のこと、アーケードゲームの歴史、STGの演出史と『メタルスラッグ』シリーズ批評史をあら捜しせよ! と若い方々へ書置きしておく。
あと、伊藤先生のシステムやデザインの設計思想に触れるとき、MGS4のノベライズの、なぜオタコンの視点から語りつくしたか? という点から考えても良いと思う。
そうだなあ本読みの人が多いので、そういう話題に近づけて書くと、たとえばナボコフの『青白い炎』をTVゲームにしたら、みなさんどういうシステムデザインにされます? という話題の振り方が出来るでしょうね。
翻訳するという行為をTVゲームにするとき、どういうシステムデザインになり、どのような物語が生まれるのだろう? とか、そういう思考実験も面白そうですよね。批評をTVゲーム化したら、どんなシステムデザインになるのだろうか? とか。
あー、補足してアナザエル本気批評がないっていうのは、そもそもあそこまでシステムが物語を進めるというゲームとしての本道の領域に攻め入った状況で、「うーん、これは読書するにはめんどくさいですねえ」レベルしかないってことで、そりゃゲームと本を読むのと全く違うでしょうが、ということ。
そういう頭を対象にぶつけて掘り進むような批評を通過した上で、良い点悪い点だと大変理解できるのだが、八百屋に魚に買いに来て「ここじゃ良い魚買えないよ」という感想は、それどうなの? という素朴な疑問がある。
今、アーケードゲーム界隈での批評は、ゲー夢エリア51のぜくうさんが非常によい取り組みをしているので、同人誌などを購入するのを薦めておく。URL
注:「アナザエル」→「アザナエル」です。
2(2011-11-17 22:16追記)
おっと、補足し忘れていたけれど、アダルトゲーム(エロゲ)関連で、あの話題について多く呟いた理由として、別に現状の読み方に対して底浅いお! 悪いお! という意味じゃないので。伊藤先生も最後書かれているけれど。自分の意図としては。(続)
コンシューマもアダルトゲーム(エロゲ)も、色んな批評の対象となる部分があると思うからちょっと考えてみようず! というのが一つ。もう一つは、そんな色んな読み方や批評をしていくと、もっと対象の良い点や悪い点が浮き彫りになるだろうということ。
土台を豊かにすれば、次のステップはもっと高い場所にいけると思いますしまあちょっとこれは甘えではありますが(笑)色んな観点から、色んな心えぐられる指摘や批判をもらうと、作り手としても発奮せにゃいかん、という背筋をピンと伸ばさないといけない状況になりますしね。
少なくとも俺は、伊藤先生のログを読んでいると、「あれも読めこれを観ろ若造が」という目上な姿勢ではなくて、「みんな、こういうの読んだら? あれとか観るとびっくりするよ。まだまだ面白い世界があるよ」という静かな厳しい文章でありつつ、導きの優しさを感じた。
じゃあ、言葉が足りない十番煎じだとしても、その優しさを少しでも多くに伝えなければならないと思う。別に使命感とか、自分が理解してるなんていうスノッブなものでは更々ないけれど伊藤先生はもういないのだから、やっぱりね。