sakusenbest:Q.あなたにとって「愛」とは? くるみょん「パンツ」 shindanmaker.com/216775 おいおい私をどこかの枕と間違えてるんじゃないかい? http://twitter.com/sakusenbest/status/193688889796472832
sugukan:@sakusenbest コーヒー吹きましたw http://twitter.com/sugukan/status/193690565081169921
sakusenbest:@sugukan 枕さんもう鍵っ子の人というよりパンツの人ですよね…(´・ω・`) http://twitter.com/sakusenbest/status/193691883803901952
makura:@sakusenbest 酷い言われようだッ! http://twitter.com/makura/status/193692503571050496
sakusenbest:@makura すみません間違えました。パンツの人じゃなくて、鍵のちパンツ時々コスプレところにより黒タイツでした(´・ω・`) http://twitter.com/sakusenbest/status/193694451615535104
makura:@sakusenbest あまりにも的確に把握されていて戦慄しました。 http://twitter.com/makura/status/193694673536163840
sirouto:竜騎士氏の『ひぐらし』がなぜ当たったかというと、ノベルゲーム界の構造改革と規制緩和だったから。細かなフラグや分岐、さらにミステリの規制=ノックスの十戒を取っ払い、物語への投資=推理を集めて成功した。しかし同時に、物語の不良債権=伏線の回収に失敗してもいる。 http://twitter.com/sirouto/status/162130138866253825
sirouto:そこで、竜騎士氏は次作『うみねこ』で、赤字システムを登場させた。これは物語への投資=推理の最低価値を保証するもの。『ひぐらし』がミステリのネオリベだとすると、『うみねこ』には赤字というセーフティネットがある。上手い手法だが、最終的な物語の債権=伏線の回収は保留された。 http://twitter.com/sirouto/status/162131742709387264
sirouto:私自身は属人性を嫌うから、作家論もほとんどやらない。が、竜騎士氏は例外で、ずっと関心を持っている。それは、個々の政策=物語の細部への賛否は別にして、制度疲労を起こしたノベルゲームのシステムに対する変革者だから。後追いで成功した継承者も見ないので、特異な例。 http://twitter.com/sirouto/status/162132932478238720
sirouto:『ひぐらし』終了後、『東方』の時代に完全に移った。これは、ブログよりツイッターのほうが楽というのと同じで、原作を完全に把握しなくても消費できるのが、コミュニティ形成に有利に働いたんだろう。『ひぐらし』がセットメニューなら、『東方』はバイキング。 http://twitter.com/sirouto/status/162135448335036416
then_d:昨晩は尻切れで寝てしまい、まだいろセカ引きずるけれど、結局参照作品との関連性自体は一つひとつは薄いと思うので、あとは、その外部参照性自体が、某古書店在庫で読まれた人生の書を摂取して書き上げたセカイと捉えればいいのかと。それは私自身が人生を生きる中で様々な作品に触れるのと同じこと。 http://twitter.com/then_d/status/160895739604643840
then_d:【本ツイート・いろセカネタバレあり】このように考えれば、人は自らの生を生きるときと、作品を参照しているときを一本のリニアな人生の中で繰り返している。対していろセカではその二つは立ち位置として読む者と読まれることになる実人生とに分かたれているが、実際にはそう峻別しがたい。 http://twitter.com/then_d/status/160896649013633024
then_d:その立ち位置は我々においては常に出入りしているが、そこが一義的にどちらかに位置づけられてしまうから、管理者という見届けるのみの存在においやられる。特定の一人(藍)にしわ寄せがくるというのはそういうことで、その点のみをもって単に否定するというのも……という気はする。 http://twitter.com/then_d/status/160897743957667840
then_d:見る者(観察者)と見られる者(実践者)の立場の交換可能性は示唆している。その間で、「書く行為」がセカイの創造でもあるとともにそれが「体験」となりうることで、偽物が本物にという流れも同時に示す。こう考えると「読者」になる時もある点を単に藍にしわ寄せといっていいのか、とも言えそうな。 http://twitter.com/then_d/status/160899095744090114
then_d:で、ここからはイヤな感じでKeyフォロアーとしての比較論に。麻枝准ならそもそも1レイヤ上の「存在」及び「到達」それ自体を明確に描かないでしょう。まあそれが星霜圏で断念の作家と言われる所以だとも思うのですが。 http://twitter.com/then_d/status/160903308695973889
then_d:「存在」を描いたリトバス、AB!はレイヤが上ではなく、単にある世界だったわけで。 http://twitter.com/then_d/status/160903625818898433
then_d:描いたうえで、そこが目標であった到達地点ではなく、やむなく至ってしまった場所で、そこからまた還っていくことを示唆する話がリトバスとAB!。還っていくことになる点はいろセカも同じではありますが。 http://twitter.com/then_d/status/160904628848967681
then_d:いろセカは満たされた時と満たされなかったときの対応が峻別されている。AB!は満たされなかった人しか来ない、みたいな違いはありそうでまあそう単純にはいきませんが……。 http://twitter.com/then_d/status/160904813398335488