だちおのほとり@ついったー部 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2007-05-30「ついったヒト減ってきたっぽいのなんでなんだぜ?」仮説集 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

最近ついったを使っていてうすうす…いや、明らかにはっきりと気づいたってヒトもいるだろう。

「何だかヒトor書き込み激減ってね?」

って。

ほんとに減ってんのか、減ってんならいつぐらいと比べてどれだけ減ってんのかようわからんけど、減ってるくさい、ということを前提にありがちそうな「何でなんだぜ?」をヒマつぶしに想起してみた。

●「しょせん流行りモノだったんだぜ!プギャー」説

なーんか周りが騒いでるし何となーく自分もやってみっかー、って始めて、なーんかみんな面白い面白い言ってるから自分も面白いって言とくかー的に続けてて、何となーく話題も出切った感じがした辺りから、実はたいしておもしろくなくね?というヒト数多ありける説。

Twitterのどこが面白いのか?」「てめーらのプライベートなんて見てもきもいんだよ、ばーか」とか、話題沸騰中にさんざんブログで叩いていたヒトは「ほれ見たことかプゲラッチョm9(^Д^)」とかいってもっとも歓びそうな説。

●「一通り楽しいとこはしゃぶりつくしたんだぜ」説

要するに「もう飽きちゃった、テヘ」説。

アンテナ感度よくて新し物好きなギークたち。

ギークとは、次々と新しいWebサービスを見つけてきてはわーっと寄ってたかって熱狂して新しいオモチャを与えられた乳幼児のようにいぢり倒して、短期間的に消費し尽くして「次行ってみよー」という、まさに別の意味的に熱しやすく冷めやすいネットイナゴだった、という説。

●「ネコメンテしてる間にふと我に返っちゃったんだぜ」説

投稿が電子の海に消えていったり、IM通じなくなったり、タイムラインがgdgdになったり、アクセスすらできなかったり、何かと不安定でその度に中のヌコががんばってるついった。

最初のうちこそ、「ヌコ萌へ~」「ヌコがんばれ!」「ついったが使えないのがこんなに寂しかったなんて・・・」とか言ってたが、不安定⇒復旧⇒不安定⇒復旧⇒不安定⇒復旧・・・が繰り返され、ついったとの距離を取らされることを余儀なくされるうちに、「んっ?ついった使えないことがそんな寂しいか?」とか「何でこんなに夢中になってたんだろ?」と、急に醒めてしまったというか白けてしまったという男女の熱く燃える恋愛の果てにもありがちな症状説。

●「毎日同じような書き込みしてるうちに疑問に思っちゃったんだぜ」説

「起きったー!おはよー!」から始まり、「朝飯食ったー!」→「家出たー!」→「電車乗ったー!」→「会社着いったー」→「仕事するー」・・・・・・「昼ごはん食ったー!」・・・・・・・「仕事終わったー!」→「家ついったー!」→「夕飯食ったー!」→「ニコニコ動画観たー!」→「プクマっちゃった・・・」→「Listening to.....」→「そろそろ寝るー!みんなおやすみー」..........

.....みたいなこと毎日のように繰り返し書いてるうちに、ふと「んっ?何でこんなこといちいち他人に見せなならんのだ?」「そもそも誰にコレを伝えたいんだ?」とかいうミもフタもない無為をそこはかとなく考え込んでしまった説。

あるいは、毎日同じことの繰り返し・繰り返しであることにあるときふと気づき、唖然・呆然としてしまって人生の無常さをそこはかとなく悟ってしまった結果、そのことを自覚・認識させるついったと距離を置きたくなってしまった説。

後者はある意味自分の生き方の根幹に触れる部分であったりするため、それに絶望してしまったのなら今後の人生に危険が見られるので注意。

●「もうついったに疲れたよ・・・何だかとても眠いんだぜ、パトラッシュ・・・」説

あまりに気軽であるためによもやmixiのようにこんなことは起こるまいと思われた「ついった疲れ」現象説。

色んなヒトがひっきりなしに@で話しかけてきて返すのに疲れたよ、というある意味うらやましいくらいの人気者とか、自分の・他人のどーでもいー話を見たり書いたりすることにもう疲れたよ、とか、モバツイとかで親指駆使して文字打ち込むことに疲れたよ、というどんだけ打ち込んでんだよ、みたいな飽食・お疲れ派な人々。

●「面白いこと言うやつ見かけなくなったぜ?@で話しかけてくれるやつ来なくなったぜ?ウマの合うやついなくなったぜ?」説

以上のようなそんなこんなでユーザーの来訪が減り、「書き込みのクオリティ下がったよな・・・」とかニコ動の人気動画の末期に初期からコメ書いてた自称事情通がぼそっと知ったようなこと垂れるようにしてつぶやいたり、あいつはいわば戦友のようなやつだったのに・・・ばりに、いつも楽しく盛り上がっていた話相手があんまり来なくなったりというのが続き、連鎖的に自分の楽しさも半減してしまった説。

あらゆる「場」とは、そうして去り行く者もあれば、新たに参入してくる者もあり、脈々と新陳代謝を繰り返し存続していくものでもあり、本当に消費され尽くされれば「そして誰もいなくなった…」となる盛者必衰的な、ある意味正しい流れにあるとも言える現象である。


というように、あんまりオチはつかなったが、思ってみたことを走り書いてみた。

まぁ自分自身毎日顔は出しているものの、書き込みは減ってるんだけどねー。以上のいずれか、あるいはその複合的な組み合わせによりそういうことになってるのかもしらんね。

つっても、相も変わらずマイペースで愉しんでいるヒトもいれば、ある意味「夢見る頃を過ぎれば・・・」で熱狂した期間を経てある程度話題が沈着した今が正しい姿だよ、って思うヒトもいれば、かえってこれくらいまったりしてた方が落ち着いてできていいよ、っていうヒトもおるだろうし、そうやって参加ユーザーたちが色んなスタンス持ちながら色んなこと投下してつぶやき続けたり、じゃれあったりして交流してんのがついったの面白いところなんだけどね。

まっ、そのうち誰か書くでしょ。

「私がついったを止めた理由」とか「Twitterとは結局何だったのか?」とか「Twitterがたいして話題に上らなくなった件」とか「わたしたちはどこから来てどこへ行く・・・」みたいなことブログに書くヒトが。

「セカライなんて幻想だったんだよ・・・」みたいに。

そして、ブクマがたくさんついたりなんかして、コメント見ると「俺漏れも!」とか「まだついったなんてやってんのかよ!ヒマ人だなw」とか書かれてたりw