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CanDyの日記

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2008-02-17

春から開設予定の講義?

| 18:22

 関心をもつ人は多いのだけど、なんだかわからない、むずかしい。そんな空気を感じたので、空気を読んで始めてみる。人文科学部の人の興味のある分野をあらためて見てみたのだけど、哲学、宗教、文学etc.分野はばらばらだけど、うーん一言で述べると「信仰と理性」「精神と肉体」という大問題の答えに対しての関心があると感じたので、これらの大問題及びその周辺の小問題について意見交換をする目的で講義を開設したいと思います。

 講義のといっても、まだまだすごく至らない点があるので、基本は知的にスリリングにをもっとうに、脱線上等というノリで進めます。ぐだぐだと。

 講義の方針内容は、春休み中にある程度つめて考えます。

方法について  論理学と言葉の使用についてver.1

| 18:36

まず、デカルトが方法序説で試みたように、わたし達のとる方法についての考察から始めましょう。これは前提にも通ずるものです。

 methodを辞書で引くと次のような記述があります。Origin Greek, Methodos, 'pursuit of knowledge'この記述からもわかるように方法はすでに知の探究という意味を持つ言葉です。

 方法自体に対して考えるのは後ほど本格的にやることにし、わたしが使用する言葉について書いておきます。当然ながらわたしが使うというよりもインターフェイスとして使用する言語は、日本語です。英語や、ましてやラテン語やギリシア語など私も読みもできなければ、書きもできません。

 ここで問題とするのは、思索の際に使用する言葉についてです。

 何かを考える際にどうしても言葉の定義、意味にずれが生じてしまいます。これを完全に取り除くことは難しいことです。

以下で気をつけるのは、特別な断りがない限り、私は日常言語とでもよぶべきものを中心に使用するということです。つまり、私は何かとむずかしい、学術、専門の訳語をなるべくきちんと定義、意味づけをしながら使用していくということです。 

 しかし、このことが、わかりやすくと言う名で世間一般に蠢いている通俗的で卑猥な養生訓であるとか、人生哲学といったものに堕することを意味しているものではありません。私は様々な機会に言葉を学んでいますが、それを無意識に、ないしは曖昧に使うことをなるべく避けようと試みるだけの話です。

 デカルトも方法序説において、彼の学んだスコラ学を一新することを目指しましたが、断りを入れたうえで、彼の学んだスコラ学の用語を使用しています。

 言葉の精確な使用を目ざすものを以後、論理学とすることとします。 

 私の言葉の使用はまだ不明瞭で誤りを孕むものですので、言葉の使用に不明な点があれば遠慮なくおっしゃってください。たとえ、どんなにきちんと体系だっているようであっても、「蟻の穴より堤の崩れ」というように少しでも疑問や懐疑があれば、そのことについてじっくりと考えるべきです。

 しかし、何もかにもを完璧に行なうことのみでわたし達の思考をすすめるものでは決してありません。完璧さを目ざすのはただ、論理学の領域にのみ求めることとします。喩えるならば、デバッグ、バグやエラーを探す作業が論理学にわたしが求めるものです。わたし達の方法はこのような窮屈なものでは決してないものです。それは飛躍と曖昧さ、思いつきとなんとなく、もやもや、ぐだぐだを多分に含むものであり。そうでなければならないものです。このことについては次に述べることとしましょう。

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